国民栄誉賞を辞退した人は誰?福本豊・古関裕而・イチロー・大谷翔平の理由を2026年最新解説
国民栄誉賞を辞退した人は誰なのか。名前が挙がるのは、プロ野球の盗塁王・福本豊、作曲家の古関裕而、元メジャーリーガーのイチロー、そして2021年に打診を断った大谷翔平の4人です。ただし、イチローは2001年、2004年、2019年の計3回にわたって辞退しており、打診の事例を数えると計6件になります。
辞退の理由は一様ではありません。福本豊は受賞者としての自分に自信が持てなかったと振り返り、古関裕而の遺族は没後の授与に疑問を示しました。イチローは現役選手としての姿勢を貫き、大谷翔平は「まだ早いので今回は」と回答しています。さらに2026年8月には、スピードスケートの髙木美帆が国民栄誉賞を受賞しました。最新の制度動向も踏まえ、辞退の経緯と発言の真相を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 辞退者:福本豊、古関裕而、イチロー、大谷翔平の4人。イチローは3回辞退している。
- 理由の違い:受賞者としての自信、没後授与への疑問、現役生活へのこだわり、将来を見据えた判断など、それぞれ背景が異なる。
- 2026年最新情報:髙木美帆が8月4日に国民栄誉賞を受賞。1977年の創設から表彰事例は29例目となった。
【結論】国民栄誉賞を辞退した人は誰?歴代4人の理由を整理
国民栄誉賞の辞退者として広く知られているのは、福本豊、古関裕而、イチロー、大谷翔平の4人です。政府による打診の時期や本人・遺族が示した理由を整理すると、単純に「賞が欲しくなかった」という話ではないことがわかります。
内閣府の制度資料や、当時の官房長官会見を伝えた報道各社の記事を照らし合わせると、辞退の経緯は次のように整理できます。
| 時期 | 人物 | 打診の背景 | 辞退理由・経緯 |
|---|---|---|---|
| 1983年 | 福本豊 | 通算939盗塁を達成し、当時の世界記録を更新 | 自分の行動が賞にふさわしいか、自信が持てなかったと後年に説明 |
| 1989年 | 古関裕而 | 死去後、遺族に授与を打診 | 長男の古関正裕が、没後に授与することの意味に疑問を示した |
| 2001年 | イチロー | メジャー1年目に首位打者やMVPを獲得 | 若く、野球人生はまだ発展途上という考えから辞退 |
| 2004年 | イチロー | メジャーリーグのシーズン262安打を記録 | 現役を続けている間は受賞する立場にないとして固辞 |
| 2019年 | イチロー | 現役引退を受けて政府が再び打診 | 「人生の幕を下ろした時にいただけるよう励みます」と回答 |
| 2021年 | 大谷翔平 | アメリカン・リーグMVPに満票で選出 | 「まだ早いので今回は辞退したい」と申し出 |
この一覧で重要なのは、辞退者が4人である一方、辞退の事例は6件あることです。また、古関裕而の場合は本人が生前に辞退したのではなく、死去後に遺族が授与を断ったケースです。本人による辞退と遺族による辞退は、分けて理解する必要があります。
なお、ここで取り上げるのは、国民栄誉賞の打診を辞退したことが報道などで明らかになっている事例です。受賞をめぐる一般的な憶測や、打診の有無が公表されていない人物まで辞退者に含めることはできません。

【福本豊の辞退理由】「立ちションベン」発言は本当にあったのか
福本豊の国民栄誉賞辞退は、数ある事例の中でも特に印象的なエピソードとして知られています。1983年、阪急ブレーブスで活躍していた福本は、通算939盗塁を達成。メジャーリーグのルー・ブロックが持っていた当時の盗塁記録を上回り、「世界の盗塁王」として名を残しました。
この記録を受け、当時の中曽根康弘内閣から国民栄誉賞の授与を打診されました。しかし、福本は受賞を辞退。その理由として広く知られるようになったのが、「そんなんもろたら、立ちションベンもできんようになる」という趣旨の発言です。
この言葉だけを読むと、国民栄誉賞を軽く扱ったようにも受け取れます。しかし、2025年2月に放送されたBSフジの番組「プロ野球 レジェン堂」で、福本本人が辞退の真相を改めて説明しています。
スポニチやFNNプライムオンラインが伝えた番組での発言によると、福本は「僕は自分の行動にそういう賞をもらえる自信がなかったです」と振り返りました。国民の手本として顕彰されることに対し、自分が本当にふさわしいのかという思いがあったのです。
さらに注目したいのは、有名な「立ちション」発言の扱いです。福本は、担当記者たちが面白おかしく記事にしたことで広まった趣旨を説明し、公式にそのような断り方をしたわけではないと否定しています。
つまり、よく知られたフレーズは、辞退理由のすべてをそのまま表した公式コメントではありません。本人の後年の説明から見えてくるのは、賞の価値を否定したというよりも、顕彰される立場へのためらいです。
このエピソードは、報道における短い名言の扱いを考えるうえでも興味深い事例です。印象の強い一言は人物像をわかりやすく伝える一方、発言が生まれた状況や本人の説明が省略されると、実際の考え方とは異なるイメージが定着することがあります。
【古関裕而の辞退理由】遺族が没後の国民栄誉賞を断った背景
作曲家の古関裕而は、1989年8月18日に80歳で亡くなりました。同年、海部俊樹内閣から国民栄誉賞の授与が遺族に打診されましたが、遺族は受賞を辞退しています。
古関は、「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」「闘魂こめて」「オリンピック・マーチ」など、スポーツや日本の文化に深く結びついた楽曲を数多く手がけました。作品が長く親しまれてきたことを考えれば、国民栄誉賞の候補となった背景も理解できます。
一方、遺族が示したのは、故人の功績そのものを否定する理由ではありませんでした。長男の古関正裕は、亡くなった後に授与することについて、「元気に活動している時ならともかく、亡くなったあとに授与することに意味があるのか」という趣旨の疑問を示したと伝えられています。
この判断の核心は、賞の価値よりも、受賞する本人が生きている間にその栄誉を受け取ることの意味にあります。生前の本人が授与を受けるケースと、死去後に遺族が賞を受け取るケースでは、本人の意思をどう扱うかという問題が異なります。
国民栄誉賞には、本人が受賞する意思を示すことだけでなく、授与の時期や顕彰のあり方も関係します。古関家の判断は、優れた功績があるからといって、どのような形で顕彰されることも当然に受け入れるとは限らないことを示しています。
また、古関裕而の事例を「古関本人が国民栄誉賞を断った」と表現するのは正確ではありません。打診が行われたのは没後であり、辞退したのは遺族です。この違いは、歴代の辞退者を整理する際に押さえておきたいポイントです。

【イチローはなぜ3回辞退した?】2001年・2004年・2019年の経緯
国民栄誉賞の辞退者の中で、複数回にわたって受賞を断ったことで知られるのがイチローです。政府からの打診は2001年、2004年、2019年の計3回。いずれも野球界で大きな節目となる実績を残したタイミングでした。
2001年、イチローはメジャーリーグ移籍1年目に首位打者などのタイトルを獲得し、アメリカン・リーグMVPと新人王にも選ばれました。日本から海を渡った選手が初年度から歴史的な活躍を見せたことを受け、小泉純一郎内閣が授与を打診しました。しかし、イチローはまだ若く、野球人生は発展途上にあるという考えから辞退しました。
2004年には、シーズン262安打というメジャーリーグの新記録を樹立。再び国民栄誉賞の授与が検討されましたが、イチローは現役を続けている間は受賞する立場にないという意向を示しました。実績が積み上がっても、現役選手としての自分を完成した存在とは捉えていなかったことがうかがえます。
そして2019年3月、イチローは現役引退を表明します。政府は改めて授与を検討しましたが、本人は代理人を通じて辞退の意向を伝えました。菅義偉官房長官が同年4月5日の会見で説明したところによると、イチローからは「人生の幕を下ろした時にいただけるよう励みます」との返答があったといいます。
この言葉は、過去2回の辞退と矛盾するものではありません。イチローは現役時代、競技者としてまだ成長する余地があることを理由に受賞を断りました。引退後も、野球人生を終えたと自分で区切るのではなく、さらに先を見据えるような姿勢を示したのです。
2019年の辞退については、政府が本人の意向を尊重して授与を見送ったことが報じられています。3回の辞退を通じて一貫しているのは、国民栄誉賞そのものへの否定ではなく、受賞のタイミングを自分自身の野球人生と結びつけて考えていた点です。
なお、「引退すれば受賞するはずだったのに断った」とだけ捉えると、本人の言葉のニュアンスを見落とします。2019年の発言は、受賞を永久に拒絶すると断言したものでも、将来の受賞を確約したものでもありません。自らの人生における節目を見据えた表現として読むのが適切です。
【大谷翔平の辞退理由】2021年の「まだ早い」に込められた考え
大谷翔平への国民栄誉賞の打診が明らかになったのは、2021年11月22日です。この年、大谷はロサンゼルス・エンゼルスで投打の二刀流として活躍し、アメリカン・リーグMVPに満票で選出されました。これを受け、岸田文雄内閣が授与を打診しました。
当時の松野博一官房長官は記者会見で、本人側から辞退の申し出があったことを説明しました。大谷側の回答は、「まだ早いので今回は辞退したい」という趣旨のものでした。
大谷の辞退理由は、福本豊のように受賞者としての自信をめぐる説明でも、古関裕而の遺族のように没後授与への疑問でもありません。大きな実績を挙げた時点でも、自分はまだキャリアの途中にいるという判断を示したものです。
「今回は」という言葉にも注目が集まりました。将来の可能性を完全に否定する表現ではありませんが、再び打診があれば必ず受賞するという約束でもありません。大谷本人がその時点で示した意向として理解する必要があります。
この点では、2001年に「まだ若く、発展途上」として辞退したイチローとの共通点があります。どちらも、突出した成績を残した直後であっても、競技者としての歩みを終えたとは考えていませんでした。
一方で、両者の発言をまったく同じ理由とみなすこともできません。イチローは2001年、2004年、2019年と、それぞれの節目に応じた言葉を残しています。大谷について確認できるのは、2021年の打診に対して「まだ早いので今回は」と回答したという事実です。辞退後の将来まで断定することはできません。

【国民栄誉賞の仕組み】1977年の創設から2026年の最新動向まで
国民栄誉賞は、1977年8月30日に定められた「国民栄誉賞表彰規程」に基づく内閣総理大臣表彰です。当時の福田赳夫首相が創設し、同年9月5日、プロ野球で通算756本塁打の世界記録を達成した王貞治が第1号受賞者となりました。
創設の背景には、スポーツ選手の顕著な功績を広く顕彰する仕組みを設けたいという考えがありました。それ以前から内閣総理大臣顕彰という制度はありましたが、対象となる功績の範囲が限定されていました。国民に親しまれる分野で、社会に明るい希望を与えるような業績をたたえるために設けられたのが国民栄誉賞です。
内閣府が公表する国民栄誉賞表彰規程では、目的を「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」の栄誉をたたえることと定めています。表彰者は内閣総理大臣で、対象者はこの目的に照らして表彰することが適当と認められた人や団体です。
制度の特徴は、年齢や競技成績などを数値化した一律の受賞基準が規程に明記されていないことです。実施要領では、首相が表彰しようとするときに民間有識者の意見を聞くと定めていますが、最終的な判断は内閣総理大臣が行います。決まった成績を達成すれば自動的に受賞できる制度ではありません。
表彰は表彰状と盾を授与する形で行われ、記念品または金一封を添えることができます。規程には、全受賞者に一定額の賞金や年金を支給するといった仕組みは定められていません。金銭的な待遇だけで判断できる賞ではなく、社会的な功績を顕彰することが中心です。
2026年の最新動向としては、スピードスケートの髙木美帆が国民栄誉賞を受賞しました。政府は同年7月28日に授与を決定し、8月4日に首相官邸で表彰式を実施。髙木は五輪で通算10個のメダルを獲得し、日本女子選手として最多の記録を残しました。共同通信や日本オリンピック委員会の発表では、国民栄誉賞の表彰事例は29例目とされています。
この最新事例を踏まえると、国民栄誉賞は2026年もスポーツや文化など幅広い分野の功績を顕彰する制度として運用されています。歴代受賞者一覧を確認する際は、内閣府の公式資料を参照することで、過去の受賞者だけでなく最新の授与状況も把握できます。
【プロの結論】辞退者の発言を比較すると見える国民栄誉賞の本質
4人の辞退事例を比較すると、共通しているのは、国民栄誉賞を受けるかどうかが、記録や実績の大きさだけでは決まらないという点です。優れた功績があることと、本人や遺族がその時点で受賞を望むことは、別の問題です。
福本豊のケースでは、受賞者としての自信や自分の振る舞いに対する感覚が重要でした。古関裕而の遺族は、本人が亡くなった後に顕彰されることの意味を問い直しました。イチローは3回の打診に対し、現役生活や人生の区切りを見据えた姿勢を示しました。大谷翔平は、将来に向けて競技者として歩み続ける段階にあると判断しました。
したがって、辞退を「賞への反発」や「謙遜のパフォーマンス」と一括りにするのは適切ではありません。本人の言葉が公表されている場合には、その発言がどの時点のものなのか、誰が説明したのか、実際にどのような打診があったのかを確認することが重要です。
特に福本豊の「立ちションベン」発言は、象徴的な言葉だけが広まった例です。後年の本人の説明を踏まえると、記事や見出しで定着したフレーズと、辞退の背景にあった考え方を区別する必要があります。短い発言だけで人物の意図を決めつけず、後の証言や当時の報道をあわせて読むことが、歴史的なエピソードを正確に理解する近道です。
国民栄誉賞は、受賞者にとっても政府にとっても、功績を社会に示す象徴的な表彰です。しかし、受賞を断ることもまた、本人や遺族が自らの価値観に沿って判断した結果です。受賞した人を称えることと、辞退した人の判断を尊重することは、両立します。
【国民栄誉賞辞退】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:国民栄誉賞を辞退した人は全部で何人ですか?
A1:広く知られている辞退者は、福本豊、古関裕而、イチロー、大谷翔平の4人です。イチローは2001年、2004年、2019年の3回にわたって辞退しています。辞退の打診事例を数えると、4人で計6件です。
Q2:福本豊は本当に「立ちションベンできんようになる」と言って辞退したのですか?
A2:この発言は広く知られていますが、福本本人は2025年のテレビ番組で、記者たちが面白おかしく記事にした趣旨を説明し、公式にそのような断り方をしたわけではないと否定しています。本人は、自分の行動が賞にふさわしいか自信がなかったと振り返っています。
Q3:国民栄誉賞を辞退した後に、再び受賞することはできますか?
A3:国民栄誉賞表彰規程には、辞退者への再打診や再受賞を一律に禁止する規定は明記されていません。ただし、将来の再打診や受賞が保証されているわけではなく、具体的な判断はその時点の事情や本人の意向などによります。
まとめ:国民栄誉賞の辞退理由は、実績だけでは測れない
国民栄誉賞の辞退者として知られるのは、福本豊、古関裕而、イチロー、大谷翔平の4人です。福本は受賞者としての自信、古関の遺族は没後授与への疑問、イチローは現役生活や人生の区切り、大谷は「まだ早い」という判断を、それぞれ示しました。
1977年に福田赳夫首相が創設した国民栄誉賞は、明確な成績基準によって自動的に授与される賞ではありません。首相が制度の目的に照らして判断し、受賞者本人や関係者の意向も実際の授与を考えるうえで重要になります。2026年8月には髙木美帆が受賞し、表彰事例は29例目となりました。
辞退者の発言を読むときは、印象的な一言だけで理由を決めつけず、当時の打診の経緯、本人や遺族の説明、後年の証言を合わせて考えることが大切です。受賞することだけが功績の証明ではなく、受賞を辞退する判断にも、それぞれの人生観や仕事への向き合い方が表れています。 (出典: 国民 栄誉 賞 辞退(Yahoo!ニュース))