阿部麗也のプロフィール・戦績を徹底解説、2026年引退の経緯と現在の活動
阿部麗也(あべ・れいや)は、福島県出身の元プロボクサーです。1993年3月25日生まれで、フェザー級を主戦場に、2014年の全日本フェザー級新人王、日本フェザー級王座、WBOアジア太平洋フェザー級王座を獲得。会社員として働きながら世界タイトルに挑戦した「サラリーマンボクサー」としても知られています。
2026年には、5月2日の東京ドームでの試合を最後に、8月に現役引退を表明しました。この記事では、阿部麗也のプロフィール、生年月日や出身地、ボクシング戦績、歴代王座、世界挑戦の経緯、引退理由として注目されるポイント、そして2026年現在の活動まで、KG大和ボクシングジムの選手情報やボクシング専門メディアの報道をもとに整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1993年3月25日生まれ、福島県耶麻郡出身。左構えのサウスポーで、フェザー級を主戦場とした元プロボクサー。
- 主な実績:2014年全日本新人王、第66代・第68代日本フェザー級王者、元WBOアジア太平洋フェザー級王者。
- 2026年の現在:5月2日の下町俊貴戦を最後に、8月に現役引退を表明。プロ通算35戦28勝10KO5敗2分でキャリアを終えた。
【プロフィール】阿部麗也はどんな元プロボクサーなのか
阿部麗也は、国内フェザー級で実績を積み重ね、世界タイトルに挑戦するまでに成長したボクサーです。最大の特徴は、サウスポーのアウトボクサーとして培った距離感や動きに加え、会社員として働きながら競技を続けてきた点にあります。
所属していたのは、神奈川県大和市を拠点とするKG大和ボクシングジムです。ニックネームは「大和の雷神」。リング上では独特のリズムと柔軟な動きを生かし、相手の攻撃を外しながらパンチを返すスタイルを持ち味としてきました。
KG大和ボクシングジムの選手プロフィールでは、身長172cm、左構えのアウトボクサーとして紹介されています。また、ボクシングを始めたきっかけとして、漫画・アニメ作品『あしたのジョー』を挙げています。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 名前 | 阿部麗也(あべ・れいや) |
| 生年月日 | 1993年3月25日 |
| 年齢 | 33歳(2026年10月24日時点) |
| 出身地 | 福島県耶麻郡(猪苗代町) |
| 身長 | 172cm |
| 主戦階級 | フェザー級 |
| 構え・スタイル | サウスポー、アウトボクサー |
| 所属ジム | KG大和ボクシングジム |
| 主な獲得タイトル | 2014年全日本フェザー級新人王、第66代・第68代日本フェザー級王座、WBOアジア太平洋フェザー級王座 |
| プロ通算戦績 | 35戦28勝(10KO)5敗2分 |
| 現役引退 | 2026年8月に表明 |
生年月日や出身地を調べる際には、同じ「阿部麗也」という名前の人物と混同しないことも大切です。ボクシング選手としての阿部麗也は、1993年3月25日生まれで、KG大和ボクシングジムに所属していたフェザー級の元プロボクサーを指します。

【ボクシング経歴】新人王から日本王者、世界挑戦までの歩み
阿部麗也のプロキャリアは2013年6月に始まりました。福島県立会津工業高校でボクシングに取り組み、アマチュア時代の戦績は15戦7勝8敗。全国大会で圧倒的な成績を残してプロ入りしたタイプではなく、実戦を重ねながら実力を伸ばしていった選手です。
2014年には全日本フェザー級新人王を獲得。その後、日本フェザー級の上位選手と対戦しながら経験を積み、2019年には日本タイトルに挑戦しましたが、最初の2度の挑戦では王座に届きませんでした。
転機となったのが2022年5月15日です。日本フェザー級タイトルマッチとWBOアジア太平洋フェザー級王座決定戦を兼ねた試合で丸田陽七太に判定勝ちし、2つのタイトルを同時に獲得しました。2019年の挑戦から積み上げてきたキャリアが、国内トップクラスの実績として結実した試合でした。
2022年12月には前田稔輝を判定で破り、日本王座とWBOアジア太平洋王座の初防衛にも成功。2023年4月には元世界王者キコ・マルティネスとのIBF世界フェザー級挑戦者決定戦に勝利し、世界タイトルへの道を切り開きました。
その後、2024年3月に米国ニューヨーク州ベローナでIBF世界フェザー級王者ルイス・アルベルト・ロペスに挑戦。8回TKO負けを喫しましたが、国内で再起を果たし、2025年6月には大久祐哉との日本フェザー級王座決定戦に勝利しています。
以下は、KG大和ボクシングジムの選手プロフィール、ボクシング専門メディアの試合記録などをもとにまとめた主要な経歴です。
| 時期 | 出来事 | 主な実績・結果 |
|---|---|---|
| 2013年6月 | プロデビュー | プロキャリアを開始 |
| 2014年12月 | 全日本フェザー級新人王決定戦 | 殿本恭平に判定勝ちし、新人王を獲得 |
| 2019年 | 日本フェザー級王座に挑戦 | 5月に引き分け、9月に判定負け |
| 2022年5月15日 | 日本・WBOアジア太平洋王座決定戦 | 丸田陽七太に判定勝ち。日本フェザー級王座とWBOアジア太平洋王座を獲得 |
| 2022年12月3日 | 2冠の初防衛戦 | 前田稔輝に判定勝ち。両王座の初防衛に成功 |
| 2023年4月8日 | IBF世界フェザー級挑戦者決定戦 | キコ・マルティネスに判定勝ち |
| 2024年3月2日 | IBF世界フェザー級タイトルマッチ | ルイス・アルベルト・ロペスに8回TKO負け |
| 2024年10月18日 | 世界戦後の再起戦 | 川本響生に判定勝ち |
| 2025年3月25日 | 清水聡戦 | 10回判定で引き分け |
| 2025年6月19日 | 日本フェザー級王座決定戦 | 大久祐哉に判定勝ちし、第68代王者に |
| 2025年10月21日 | 日本フェザー級タイトル初防衛戦 | 殿本恭平に判定勝ち |
| 2025年12月29日 | 日本フェザー級王座を返上 | 世界再挑戦に向けた準備に専念 |
| 2026年5月2日 | 下町俊貴戦 | 東京ドームで判定負け。現役最後の試合となる |
| 2026年8月 | 現役引退を表明 | 約13年間のプロキャリアに終止符 |
この経歴で見逃せないのは、一度タイトルを獲得して終わりではなかったことです。日本王座を返上した後も世界挑戦への道を追い、世界戦で敗れた後には再起し、再び国内王座を手にしました。阿部麗也のキャリアは、獲得したベルトの数だけでなく、敗戦後にどのように立て直したかという点にも特徴があります。
【歴代王座】日本フェザー級第66代・第68代王者の実績とは
阿部麗也の獲得タイトルを理解するうえで重要なのが、日本フェザー級王座の第66代と第68代という2つの肩書きです。これは、同じ日本タイトルを異なる時期に獲得したことを示しています。
最初の日本王座は、2022年5月15日に丸田陽七太を破って獲得しました。この試合では、空位となっていたWBOアジア太平洋フェザー級王座も同時に獲得し、国内王座と地域王座の2冠を達成しています。
両王座は初防衛に成功した後、世界挑戦を見据えて返上しました。その後、2024年3月のIBF世界タイトルマッチでは敗れましたが、再起戦で川本響生に勝利し、2025年6月19日の日本フェザー級王座決定戦で大久祐哉を下して王座に返り咲きました。これが第68代王者としての2度目の戴冠です。
2025年10月21日には殿本恭平との初防衛戦にも勝利。ところが、世界再挑戦を目指すため、同年12月29日付で日本フェザー級王座を返上しました。国内王座を守り続ける道ではなく、より大きな舞台を目指す選択だったことが、当時のボクシングニュースで報じられています。
WBOアジア太平洋フェザー級王座についても、2022年5月に獲得し、同年12月に初防衛に成功しています。ただし、これは世界王座とは異なる地域タイトルです。日本王座、WBOアジア太平洋王座、IBF世界王座への挑戦は、それぞれ位置づけが異なります。
阿部麗也の実績を評価する際には、国内王座を2度獲得したこと、地域王座を獲得・防衛したこと、そして世界タイトルマッチまで進んだことを分けて捉えると、キャリアの到達点が理解しやすくなります。

【ボクシング戦績】阿部麗也の強さとサウスポースタイルの特徴
阿部麗也の最終的なプロ戦績は、35戦28勝(10KO)5敗2分です。勝利の大半を判定で積み上げてきた一方、10試合でKO勝ちを記録しており、技巧だけでなく攻撃面でも結果を残してきました。
戦い方の特徴は、サウスポーの構えから生まれる独特の間合いと、相手の動きに応じてリズムを変える柔軟性です。KG大和ボクシングジムは、阿部を左構えのアウトボクサーとして紹介しています。相手のパンチを外し、打っては離れる動きや、タイミングをずらした攻撃が持ち味でした。
ただし、アウトボクシングだけで勝ち続けてきたわけではありません。過去の試合報道では、相手との距離を詰めてボディーやアッパーを使う場面、前に出て攻撃的に戦うスタイルへの変化も取り上げられています。状況に応じて戦い方を変える能力が、国内王座の獲得や世界挑戦者決定戦の勝利につながりました。
一方、世界レベルの相手との対戦では、技術的な優位をそのまま勝利に結びつける難しさも表れました。2024年のロペス戦では8回TKO負けを喫し、2026年の下町俊貴戦では判定で敗れています。世界ランカーとして実力を認められていたことと、世界タイトルを獲得できたことは別の評価軸です。
また、阿部麗也は「サラリーマンボクサー」として知られました。スポーツ紙や地域メディアの報道では、自動車部品メーカーのプレス工業で働きながら練習を続け、世界戦にまでたどり着いた歩みが紹介されています。競技だけに専念する環境とは異なる制約のなかで、国内トップクラスに上り詰めた点も、彼のキャリアを語るうえで欠かせません。
阿部麗也の戦績を見る際は、勝敗だけでなく、どの相手に勝ち、どの舞台まで進んだのかを合わせて確認することが重要です。新人王から国内2冠、世界挑戦者決定戦、世界タイトルマッチへと進んだ道筋そのものが、選手としての到達点を示しています。
【世界挑戦と最後の試合】2026年5月の下町俊貴戦で何が起きたのか
阿部麗也にとって、2024年3月2日のIBF世界フェザー級タイトルマッチは大きな節目でした。米国ニューヨーク州ベローナで王者ルイス・アルベルト・ロペスに挑戦しましたが、8回TKO負け。世界王座獲得はなりませんでした。
それでも阿部は現役を続行し、2024年10月の再起戦で川本響生に判定勝ち。2025年には清水聡との試合を引き分けた後、日本フェザー級王座を再び獲得しました。世界挑戦での敗戦を経て、国内王座からもう一度世界を目指す道を選んだのです。
2026年5月2日、阿部は東京ドームで下町俊貴とフェザー級10回戦を戦いました。下町も世界ランキングに名を連ねる実力者であり、世界戦線への前進を懸けた対戦でした。
試合は互いにサウスポー同士の技術戦となりました。ボクシングニュースの試合報道によると、阿部はステップや上体の動きを生かして攻め、下町は長いジャブや左ストレート、アッパーなどで対抗。両者とも相手に決定的な攻撃を許しにくい展開となりました。
判定は96対94、96対94、95対95の2対0で下町俊貴の勝利。阿部は世界ランカー対決を制することができず、この試合が現役最後のリングとなりました。
ここで注意したいのは、最後の試合で敗れたことと、引退の直接的な理由を同一視しないことです。下町戦が現役最後の試合となったのは事実ですが、試合結果だけから引退の決断に至ったすべての事情を説明することはできません。

【引退理由】阿部麗也はなぜ現役を退いたのか
阿部麗也は2026年8月1日、自身のYouTubeチャンネルで現役引退を表明しました。ボクシングモバイルは8月4日、阿部が約13年間の現役生活に終止符を打ったと報道しています。2013年6月のプロデビューから、2026年5月の下町俊貴戦まで、35試合を戦い抜いたキャリアでした。
引退に至る経緯を考えるうえでは、直近の試合だけでなく、世界挑戦に向けた数年間の歩みを振り返る必要があります。2024年3月の世界戦では敗れたものの、阿部は競技を続け、2025年に日本フェザー級王座を奪還。さらに世界再挑戦を目指して王座を返上し、2026年5月の東京ドームで世界ランカー対決に臨みました。
つまり、阿部は国内タイトルを再び獲得した段階で競技生活を終えたわけではありません。王座を返上して世界を目指し、その後も世界ランカーとの試合に臨んだうえで引退を決断しています。この経緯からは、世界の舞台を目指す姿勢を最後まで貫いていたことが読み取れます。
一方、引退理由について、公開されているボクシングモバイルの記事本文は、単一の原因を断定する形では説明していません。同メディアは、本人へのインタビューで引退を決意した理由、家族への思い、世界挑戦の舞台裏などを扱っていますが、詳細なインタビューは会員向けコンテンツです。
そのため、「下町戦に負けたから引退した」とだけ説明するのは正確ではありません。最後の試合の結果は引退に至る時系列上の重要な出来事ですが、それだけを決断のすべての理由とみなす根拠はありません。
阿部のキャリアには、2019年の日本タイトル挑戦での失敗、2022年の2冠達成、2024年の世界初挑戦、2025年の日本王座返り咲きなど、複数の転換点がありました。引退は、そうした13年間の積み重ねを経て下された決断です。戦績の数字だけでなく、世界を目指して競技を続けた時間全体を振り返ることが、引退の意味を理解する手がかりになります。
【2026年現在】阿部麗也の肩書きと引退後の活動
2026年10月現在、阿部麗也は元プロボクサーです。8月に現役引退を表明したため、現役の日本フェザー級王者や現役世界ランカーとして紹介するのは適切ではありません。日本フェザー級王座も2025年12月に返上しており、最後の試合は2026年5月2日の下町俊貴戦です。
一方、引退によってボクシングとの関わりがすべてなくなったわけではありません。阿部は、KG大和ボクシングジムに所属していた時期から「阿部麗也/ボクサートリオch」を通じてボクシングに関する発信を行ってきました。2026年8月以降も、同チャンネルでボクシングの話題を取り上げる活動が報道されています。
ただし、引退後に指導者や専業の解説者へ正式に転身したといった肩書きについては、広く確認できる発表が見当たりません。現段階では、元プロボクサーとしての実績と、ボクシングに関する動画発信を分けて捉えるのが適切です。
また、会社員として働きながら競技を続けてきたことは、阿部麗也を特徴づける要素の一つでした。ただし、引退後も同じ勤務先で働いているのか、仕事上の役割が変わったのかについては、最新の公表情報だけでは断定できません。
阿部麗也の現在を調べる場合は、現役引退の発表、最後の試合、引退後の本人発信を区別して確認することが大切です。過去の選手プロフィールに残る「日本フェザー級王者」という記載だけを見て、現在も王座を保持していると誤解しないよう注意しましょう。
【阿部麗也】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:阿部麗也の生年月日と出身地は? A1:1993年3月25日生まれで、福島県耶麻郡出身です。KG大和ボクシングジムのプロフィールでは、福島県出身のフェザー級サウスポーとして紹介されています。
Q2:阿部麗也のボクシング戦績は? A2:プロ通算35戦28勝(10KO)5敗2分です。2014年に全日本フェザー級新人王を獲得し、第66代・第68代日本フェザー級王者、元WBOアジア太平洋フェザー級王者として実績を残しました。
Q3:阿部麗也はいつ引退した? A3:2026年8月に現役引退を表明しました。ボクシングモバイルは8月4日に引退を報道しており、本人は8月1日にYouTubeで引退を発表したとされています。最後の試合は、同年5月2日の下町俊貴戦でした。
Q4:阿部麗也の引退理由は何? A4:引退を決断した詳しい事情については、本人へのインタビューで扱われています。ただし、公開されている報道だけでは、下町俊貴戦の敗北だけを直接の理由と断定できません。世界挑戦を目指して王座を返上した経緯や、13年間の競技生活全体を踏まえて理解する必要があります。
Q5:阿部麗也は世界チャンピオンになった? A5:世界王座の獲得には至っていません。2023年4月にIBF世界フェザー級挑戦者決定戦で勝利し、2024年3月にIBF世界王者ルイス・アルベルト・ロペスに挑戦しましたが、8回TKO負けでした。
Q6:阿部麗也は引退後もボクシング活動を続けている? A6:現役選手としての活動は終了していますが、ボクシングに関する動画発信は続いていると報じられています。指導者などへの正式な転身については、発表された肩書きと本人の発信を分けて確認することが大切です。
まとめ:阿部麗也の13年間が残した実績と今後の注目点
阿部麗也は、1993年3月25日生まれ、福島県耶麻郡出身の元プロボクサーです。2013年のプロデビューから約13年間、フェザー級を主戦場に戦い、2014年の全日本新人王、日本フェザー級第66代・第68代王者、WBOアジア太平洋フェザー級王者という実績を残しました。
2024年には米国でIBF世界フェザー級タイトルに挑戦し、2025年には日本王座に返り咲きました。世界王座には届かなかったものの、国内王座の獲得と返り咲き、世界挑戦者決定戦での勝利など、節目となる試合を重ねたキャリアでした。
2026年5月2日の下町俊貴戦を最後に、8月に現役引退を表明。最終戦績は35戦28勝(10KO)5敗2分です。引退理由を最後の敗戦だけで説明するのではなく、世界を目指して競技を続けた13年間の流れから捉えることが、阿部麗也の歩みを理解するうえで重要です。
今後注目したいのは、引退後の本人の発信や、ボクシングとの関わり方です。現役選手としてリングに立つことは終わりましたが、国内王座を2度獲得し、会社員として働きながら世界に挑んだ経験は、阿部麗也のボクシング人生を語るうえで欠かせない実績として残ります。 (出典: 阿部 麗 也(Yahoo!ニュース))