ロコ・ソラーレ吉田知那美の退団理由は?2026年現在とプロ転向の全貌
カーリング女子日本代表として活躍し、平昌五輪の銅メダル、北京五輪の銀メダル獲得に貢献した吉田知那美さん。2026年3月31日、12年間所属したロコ・ソラーレからの退団を発表し、4月からはプロカーラーとして新たなキャリアを歩み始めました。
退団の理由は、チームとの不仲や競技引退だったのでしょうか。本人が取材で明かしたのは、家族と過ごす時間への思い、人生設計の変化、日本のカーリング界における自身の役割、そして海外のプロリーグへの挑戦でした。2026年10月現在の活動や夫・河野恭介さんとの結婚、妹の吉田夕梨花さんとの関係、五輪での実績も含めて、退団の経緯と今後を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 退団の理由:家族との時間、ライフプランの再設計、競技者としての役割の変化など、複数の要因が重なった決断。
- 2026年の現在:4月からプロカーラーとして世界初のカーリングプロリーグ「ロックリーグ」に参戦。チーム・タイフーンの主将を務めています。
- 五輪での実績:ソチ五輪は5位入賞、平昌五輪は銅メダル、北京五輪は銀メダル。2026年5月の取材では、今後は五輪を再び目指さない意向を明らかにしました。
- 今後の活動:海外での競技活動に加え、カーリングの普及、ジュニア選手への指導、国際的な発信にも取り組んでいます。
【プロフィールと12年間の軌跡】吉田知那美はどんな選手?
吉田知那美さんは1991年7月26日生まれ、北海道北見市常呂町出身のカーリング選手です。2026年10月現在は35歳。小学校2年生からカーリングを始め、地元で競技経験を積んだ後、北海道銀行フォルティウスを経てロコ・ソラーレに加入しました。
2014年のソチ五輪に出場した後、同年6月に地元・常呂町を拠点とするロコ・ソラーレへ移籍。サードとしてチームを支え、世界選手権や五輪で数々の実績を残しました。2018年平昌五輪では日本カーリング史上初の五輪メダル獲得に貢献し、2022年北京五輪では銀メダルを獲得しています。
ロコ・ソラーレの公式発表によると、吉田さんは2014年から2026年3月末までの12年間、チームの一員として活動しました。代表理事の本橋麻里さんは、日本一や世界選手権、五輪メダル獲得への貢献に感謝を示し、退団後の活躍も応援すると表明しています。
主な経歴を時系列で整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 小学校2年生ごろ | カーリングを始める | 北海道・常呂町で競技の基礎を築く |
| 2011年 | 北海道銀行フォルティウスに加入 | 国内トップレベルの競技環境で活動 |
| 2014年2月 | ソチ五輪に出場 | 日本代表として5位入賞 |
| 2014年6月 | ロコ・ソラーレに加入 | 地元を拠点とするチームで新たな挑戦を始める |
| 2016年 | 世界女子カーリング選手権 | 日本代表として銀メダルを獲得 |
| 2018年2月 | 平昌五輪 | 銅メダルを獲得 |
| 2022年2月 | 北京五輪 | 銀メダルを獲得 |
| 2026年3月31日 | ロコ・ソラーレ退団 | 12年間の所属に区切りをつける |
| 2026年4月 | プロカーラーとして活動開始 | ロックリーグのタイフーンで主将を務める |
この経歴で注目したいのは、吉田さんがロコ・ソラーレでの活動を終えても、カーリングそのものから離れたわけではない点です。所属チームを変える決断と、競技人生を終える決断は別のものです。今回の退団は、長年の実績を土台に、活動の形を変える転機になりました。

【退団理由の真相】家族・人生設計・競技への貢献という3つの背景
吉田知那美さんの退団理由を理解するうえで重要なのが、2026年5月に日刊スポーツやNumber Webなどの取材で本人が語った内容です。本人の説明からは、単一の出来事による突然の決断ではなく、複数の思いが積み重なって選んだ道だったことが分かります。
1.家族と過ごす時間を増やしたい
カーリングのトップ選手は、海外遠征や国際大会への参加が多く、シーズン中の長期間を国外で過ごすことがあります。吉田さんも、年間のうち6〜8か月ほど海外に滞在する生活を送っていました。
2022年7月に河野恭介さんと結婚した後も、当初は競技生活を大きく変えるつもりはなかったと本人は振り返っています。しかし、結婚後の生活や将来を考えるなかで、家族と過ごす時間をこれまで以上に大切にしたいという気持ちが生まれました。
さらに、将来家族を持つ可能性も視野に入れ、医師への相談を含めて自身のライフプランを考え直したと明かしています。次の五輪周期まで競技を続ければ、年齢や身体の状態も含めて、人生設計に大きな影響が出る可能性があると判断したのです。
ここで大切なのは、結婚そのものが退団の直接的な原因だったと単純化しないことです。本人の説明では、競技に全力を注いできた生活と、これから実現したい家族との時間をどう両立させるかという問題が、長期的な決断につながっています。
2.父親の最期に立ち会えなかった後悔
退団を考える大きなきっかけとなったのが、2024年11月に父親が亡くなったことです。Number Webや日刊スポーツのインタビューによると、吉田さんは当時カナダ遠征中で、グランドスラムの大会に参加していました。父親の最期に立ち会えなかった経験について、本人は深い後悔を語っています。
トップ選手として大会に出場する責任と、家族のそばにいること。その二つを同時にかなえられない状況に直面したことは、吉田さんにとって大きな転機になりました。
遠征を優先した判断にも、チームの戦いを支えるという理由がありました。一方で、家族のそばにいる選択をしていれば、競技面で別の後悔が生まれた可能性もあったと本人は振り返っています。どちらを選んでも簡単には割り切れない状況を経験したからこそ、今後は同じような選択を迫られる機会を減らしたいという思いが強くなったのです。
この経験は、退団理由を語るうえで欠かせません。ただし、家族の事情だけが決断のすべてではなく、競技への考え方や新しい挑戦への意欲も重なっていたことを押さえる必要があります。
3.自分が選手であり続けることだけが、競技への貢献ではない
もう一つの背景は、日本のカーリング界における自分の役割を見つめ直したことです。吉田さんはインタビューで、選手として強くなり続けることが日本のカーリング界への大きな貢献になると考え、競技を続けてきたと説明しています。
一方で、国内外では若い世代の選手が台頭しています。そうした状況を見て、自分が選手として競技を続けることが、将来も最も大きな貢献につながるのかを考えるようになりました。
カーリング界を支える役割は、選手として勝利を目指すことだけではありません。コーチング、競技の普及、メディアを通じた情報発信、組織運営など、多様な関わり方があります。吉田さんは競技者としての経験を生かしながら、別の形でもカーリングに貢献できる可能性を見いだしました。
なお、2026年のミラノ・コルティナ五輪に向けた日本代表争いでロコ・ソラーレが代表権を獲得できなかったことは事実ですが、それだけを退団理由とするのは正確ではありません。本人は退団を2年ほど前から考えており、チームメートにも2025年春ごろに意向を伝えていたと説明しています。
つまり、退団の背景にあったのは、競技成績だけでは測れない人生の優先順位の変化でした。
【2026年最新】吉田知那美の現在は?プロ転向とカナダのロックリーグ
2026年10月現在、吉田知那美さんはプロカーラーとして活動しています。スポーツマネジメント会社スポーツビズの公式プロフィールでは、所属先として「TYPHOON CURLING CLUB(タイフーン・カーリングクラブ)」が掲載されています。
新たな活動の舞台となったのが、カナダ・トロントで2026年4月に開幕したプロリーグ「ロックリーグ」です。世界各国のトップカーラーが集まる新しい競技環境で、吉田さんはアジア太平洋地域を代表するチーム、タイフーンの主将を務めています。
ロックリーグとはどんな大会?
ロックリーグは、カーリングの新たなプロスポーツモデルを目指して設立されたリーグです。初年度は2026年4月6日から12日までトロントで開催され、6つのチームが参加しました。各チームには男女の選手が所属し、男子4人制、女子4人制、ミックスダブルスという複数の種目で競い合います。
従来の日本代表や国内クラブでの活動とは異なり、異なる国や地域の選手とチームを組み、国際的な環境で競技をすることが特徴です。吉田さんにとっては、これまでの経験を生かしながら、言語や文化、プレースタイルの違いを超えてチームをまとめる挑戦でもあります。
初年度は準優勝。プロ転向後の第一歩
日刊スポーツなどの報道によると、タイフーンは初年度の決勝で準優勝となりました。吉田さんは女子4人制に出場し、スキップを務めた五輪金メダリストのアンナ・ハッセルボリらとともに9対5で勝利しましたが、男子4人制とミックスダブルスで敗れ、チームとしての初優勝には届きませんでした。
それでも、退団後の初戦で主将として国際色豊かなチームを率いたことは、新しいキャリアの出発点になりました。初年度の大会を報じた日刊スポーツでは、新たな挑戦を歓迎する声や、再びプレーを見たいという反応も紹介されています。
2026年9月には、吉田さんが長野県で開催されたカーリング関連イベントに参加し、ジュニア選手への助言や交流を行ったことも報じられました。海外での競技活動に加え、次世代への普及活動にも関わっていることが分かります。
また、本人は2026年5月のインタビューで、英語やドイツ語を学ぶ計画を語り、国際的な舞台で自分の考えや感情をより豊かに伝えたいという意向を示しています。今後はプレーの技術だけでなく、言葉や発信力も含めて活動の幅を広げていくとみられます。

【オリンピックメダル獲得歴】ソチ・平昌・北京で何を残したのか
吉田知那美さんのキャリアを振り返ると、3大会連続で五輪に出場した経験が大きな柱になっています。ただし、3大会すべてでメダルを獲得したわけではありません。ソチ五輪では5位入賞、平昌五輪では銅メダル、北京五輪では銀メダルという結果を残しました。
ソチ五輪は5位入賞。ロコ・ソラーレ加入前の経験
2014年のソチ五輪では、北海道銀行フォルティウスの一員として日本代表に選ばれました。チームは5位に入りましたが、メダルには届きませんでした。その後、吉田さんは北海道銀行を離れ、同年6月にロコ・ソラーレへ加入します。
五輪を経験した直後に所属先を変え、新しいチームで再出発したことは、その後のキャリアを考えるうえで重要な出来事です。ロコ・ソラーレでの活躍は、ソチ五輪の経験を次の舞台につなげた歩みでもありました。
平昌五輪では銅メダル、日本カーリング界の歴史を変える
2018年の平昌五輪では、ロコ・ソラーレのサードとして出場。日本代表は準決勝で韓国に敗れたものの、3位決定戦で英国を破り、銅メダルを獲得しました。これは日本のカーリング競技における五輪初のメダルでした。
大会中には、チームの明るく前向きなコミュニケーションも注目を集めました。競技力だけでなく、選手同士の意思疎通や試合への向き合い方が、カーリングを広く知ってもらうきっかけにもなりました。
北京五輪では銀メダル。世界の頂点にあと一歩
2022年の北京五輪では、日本代表が決勝に進出。英国との決勝戦には敗れましたが、銀メダルを獲得しました。平昌五輪の銅メダルに続き、2大会連続で表彰台に立ったことは、吉田さんの競技人生を代表する実績です。
その一方、2026年の五輪出場は実現しませんでした。吉田さんはその後のインタビューで、今後は五輪を再び目指さない意向を明らかにしています。五輪の舞台を離れることは、カーリング選手としての終わりを意味するのではなく、競技との向き合い方を変える選択だと本人は説明しています。
五輪メダルの色や出場回数だけで選手の価値を判断するのではなく、その選手が競技を通じて何を残し、どのように次の世代へつないでいくか。吉田さんの今後を考えるうえでは、そうした視点も欠かせません。
【夫・河野恭介との結婚と妹・吉田夕梨花】家族との関係は?
吉田知那美さんは2022年7月26日に入籍を発表しました。夫は、元アルペンスキー選手で、指導者としても活動してきた河野恭介さんです。吉田さんは結婚後も競技生活を続けていましたが、2026年のインタビューでは、結婚をきっかけに家族との暮らしや人生設計について考えるようになったと振り返っています。
夫・河野恭介さんの言葉が決断を後押し
Number Webなどのインタビューによると、吉田さんは退団を考えるなかで、夫にも相談していました。河野さん自身も若くして現役選手を退き、指導者の道へ進んだ経験があります。
本人の説明では、アスリートには誰にでも現役を終える時期があり、違うのはそのタイミングだけだという趣旨の言葉が、決断を後押ししたといいます。現役を続けることだけが正解ではないと受け止められたことが、自分の人生を改めて考えるきっかけになりました。
ただし、夫の意向によって退団を決めたと捉えるのは適切ではありません。本人は、家族の時間、将来のライフプラン、カーリング界への貢献、新しいプロリーグへの関心など、複数の理由を挙げています。河野さんの言葉は、その決断を整理し、納得するための支えになったと考えられます。
妹・吉田夕梨花さんとの姉妹関係
吉田知那美さんの妹は、ロコ・ソラーレでリードを務める吉田夕梨花さんです。姉妹は同じチームの一員として長く活動し、国内外の大会をともに戦ってきました。
2026年3月31日の退団発表で、知那美さんはチームメートへの感謝を表し、妹を含む仲間たちがそれぞれのカーリング人生を幸せに歩むことを願う言葉をつづりました。さらに「50歳での再集結まで、しばしお別れ」という趣旨のメッセージも残しています。
これは、関係を断つという意味ではありません。カーリングには50歳から参加できるシニア選手権があり、将来また仲間と集まって世界一を目指すという、チーム内で共有してきた夢が背景にあります。12年間の所属に区切りをつけながらも、長年築いた絆を大切にしていることがうかがえます。
なお、夫婦の暮らしや家族計画の詳細については、本人が公に語っている範囲を超えて断定することはできません。退団理由を理解する際には、結婚や家族に関する憶測ではなく、本人がインタビューで説明した人生設計への考え方に注目することが大切です。

【プロ転向後の評判と今後】吉田知那美は何を目指すのか
吉田さんのプロ転向後の活動を評価するうえで、注目したいのは、競技成績と競技普及の両面です。ロックリーグではタイフーンの主将として国際的なチームを率い、初年度に準優勝を経験しました。一方で、ジュニア選手向けのイベントやメディア出演など、カーリングを広く伝える活動にも取り組んでいます。
評判は?初年度の結果と周囲の反応
2026年4月のロックリーグ初年度大会後には、吉田さんの新しい挑戦を歓迎する反応が報じられました。チームは優勝を逃したものの、女子4人制では勝利を収め、主将としての役割を果たしています。
もちろん、初年度の準優勝だけでプロ選手としての評価が確定するわけではありません。今後は、継続的な大会での結果、国際的なチームでの役割、競技者としての成長などを通じて評価が積み重なっていくことになります。
2026年9月には、五輪金メダリストとともにジュニア選手への指導に参加したことも報じられました。競技経験を次世代に伝える取り組みは、吉田さんが退団理由の一つとして語った「カーリングへの貢献」を、別の形で実践する活動とも重なります。
今後の活動は海外リーグだけではない
2026年5月のインタビューで、吉田さんは今後もカーリングと関わりながら活動を続ける考えを示しました。海外のプロリーグに参戦するだけでなく、カーリングの魅力を伝える仕事や普及活動にも意欲を見せています。
スポーツビズの公式プロフィールでも、講演、トークショー、イベント、カーリングクリニック、メディア出演、解説、コラムなどが活動分野として掲載されています。こうした仕事は、長年にわたり国内外の大会を経験してきた吉田さんの知識や発信力を生かせる領域です。
また、本人は英語やドイツ語を学ぶ計画についても語っています。国際リーグでの経験を積み、言葉の面でも自分の考えを伝えられるようになることは、競技者としてだけでなく、カーリングの魅力を発信する立場としてもプラスに働く可能性があります。
ロックリーグは2027年1〜4月に次季の開催が予定されており、本人もインタビューで次季もタイフーンでプレーする意向を示しています。2026年10月現在、今後の活動の軸は、海外での競技経験を深めながら、競技普及や情報発信の機会を広げていくことにあるとみられます。
【プロの結論】退団は競技人生の後退ではなく、選択肢を広げる決断
吉田知那美さんの退団を理解するうえで大切なのは、「ロコ・ソラーレを辞めた」という一つの事実だけで判断しないことです。本人は12年間の活動を通じて五輪メダルを獲得し、世界のトップ選手と戦う経験を積みました。そのうえで、今後は五輪を目指す競技人生から離れ、家族との時間や新しい競技環境を大切にする道を選びました。
プロ転向は、競技をやめることとは違います。むしろ、国内のチームを軸にした活動から、国際的なプロリーグを舞台とする活動へと軸足を移したものです。選手としての成長に加え、普及や発信にも力を入れることで、これまでとは異なる形でカーリング界に貢献する可能性があります。
今後の活動を評価するときは、五輪出場やメダル獲得だけを基準にするのではなく、海外リーグでの競技成績、チームへの貢献、次世代への普及活動、そして本人が望む人生との両立という複数の観点から見る必要があります。吉田さんの選択は、アスリートが自分のキャリアを主体的に設計する一つの例としても注目されます。
【ロコソラーレ吉田知那美】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:吉田知那美さんがロコ・ソラーレを退団した本当の理由は何ですか?
A1:家族と過ごす時間を増やしたいという思い、将来のライフプランの見直し、日本のカーリング界における自身の役割への考え、新しいプロリーグへの関心など、複数の理由が重なったためです。本人は2026年の取材で、父親の最期に立ち会えなかった経験も大きなきっかけだったと説明しています。
Q2:吉田知那美さんは2026年現在、引退したのですか?
A2:いいえ。2026年3月末にロコ・ソラーレを退団し、4月からプロカーラーとして活動しています。カナダのロックリーグではタイフーンの主将を務め、初年度は準優勝しました。本人は五輪を再び目指さない意向を明らかにしていますが、カーリング競技そのものを引退したわけではありません。
Q3:吉田知那美さんの夫は誰ですか?
A3:夫は元アルペンスキー選手で指導者としても活動してきた河野恭介さんです。2022年7月26日に入籍を発表しました。河野さんの言葉も、吉田さんが競技人生とこれからの暮らしを考えるうえで支えになったと報じられています。
Q4:吉田知那美さんはオリンピックで何個のメダルを獲得しましたか?
A4:五輪でのメダルは2個です。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得しました。2014年ソチ五輪では5位入賞で、メダル獲得には至っていません。
Q5:吉田知那美さんは今後、何を目指して活動するのですか?
A5:海外のプロリーグで競技を続けながら、カーリングの普及や情報発信にも取り組む考えを示しています。2027年のロックリーグ次季への参戦に加え、語学学習やジュニア選手への指導などを通じて、活動の幅を広げていくことが期待されます。
まとめ:吉田知那美の新しいカーリング人生は2026年から本格始動
吉田知那美さんは2026年3月31日、12年間所属したロコ・ソラーレを退団しました。その背景には、家族との時間を大切にしたいという思い、父親の最期に立ち会えなかった経験、自身の競技者としての役割を見つめ直したこと、そして海外のプロリーグへの挑戦がありました。
4月からはプロカーラーとしてロックリーグに参戦し、タイフーンの主将として初年度準優勝を経験。2026年秋にはジュニア選手への指導にも参加するなど、競技と普及の両面で活動しています。今後は海外でのプレーや語学学習、カーリングの発信を通じて、新しいキャリアを築いていくことになります。
今回の退団は、ロコ・ソラーレとの12年間を否定するものではありません。五輪メダル獲得を含む実績を土台に、競技への関わり方を自分自身で選び直した決断です。これからの吉田知那美さんを追う際は、五輪という目標だけでなく、プロ選手としての成長、国際的な活動、次世代への貢献にも注目したいところです。 (出典: ロコソラーレ 吉田 知 那 美(Yahoo!ニュース))