田原誠次の現在は?巨人での成績と2021年引退、転身後の歩みを徹底解説
田原誠次(たはら・せいじ)氏は、読売ジャイアンツで中継ぎ投手として活躍した元プロ野球選手です。宮崎県延岡市出身で、2011年のドラフト7位で巨人に入団。2016年には自己最多の64試合に登板し、チームを支える「便利屋」として存在感を発揮しました。しかし、2020年オフに戦力外通告を受け、2021年3月に現役引退を表明しています。
2026年現在の田原氏は、単に「巨人を戦力外になった元選手」ではありません。ワクチン接種会場のアルバイトやハローワークでの就職活動を経て、給湯器工場で働き、その後は野球指導者として新たなキャリアを築いています。2026年2月には自身の経験をまとめた著書も発売されました。NPB公式記録、当時の報道、本人の手記や近況をたどりながら、現役時代の実績から現在までの歩みを整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:1989年9月2日生まれ、宮崎県延岡市出身。右投左打の元巨人投手。
- プロ野球の実績:NPB通算222試合、12勝7敗、35ホールド、防御率3.13。2016年は64試合に登板。
- 引退の経緯:2020年オフの戦力外通告後、合同トライアウトを受けたもののNPB球団からオファーがなく、2021年に引退。
- 引退後の仕事:ワクチン接種会場の誘導アルバイト、ハローワークでの就職活動、給湯器工場での勤務を経験。
- 2026年の現在:沖データコンピュータ教育学院硬式野球部のコーチを務め、引退後の経験をつづった著書も出版。
【プロフィール】田原誠次はどんな元プロ野球選手?出身地や経歴を紹介
田原誠次氏は、1989年9月2日生まれの元プロ野球投手です。2026年10月現在は37歳。出身地は宮崎県延岡市で、高校時代は聖心ウルスラ学園高等学校に在籍しました。
高校卒業後は社会人野球の三菱自動車倉敷オーシャンズでプレー。社会人野球で経験を積んだ後、2011年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受け、プロ入りを果たしました。
NPB公式の個人年度別成績に掲載されているプロフィールでは、投打は右投左打、身長181センチ、体重85キロ。右腕を横から振るサイドスローを特徴とする投手で、主に救援投手として起用されました。
田原氏の役割は、先発投手のように長いイニングを投げることでも、抑え投手として試合の最後を締めくくることでもありません。試合展開や相手打者に応じて登板し、チームが必要とする場面を任される中継ぎ投手でした。
プロ入り当初から一軍の試合に出場し、2012年には32試合に登板。ドラフト7位という指名順位からスタートしながら、巨人のリーグ優勝と日本一を経験しました。華やかなスター選手とは異なる立場で、チームの勝利を支えてきた選手です。

【巨人での成績】年度別成績と年俸推移を一覧で確認
田原誠次氏の現役時代を数字で振り返ると、最も目を引くのは2016年の登板数です。NPB公式記録によると、同年は64試合に登板して4勝3敗、14ホールド、防御率3.46を記録しました。これは本人のプロ生活で最多の登板数です。
以下は、NPB公式の個人年度別成績と、野球選手データサイトなどに掲載されている推定年俸をまとめたものです。年俸は球団が公式に公表した確定額ではなく、報道や民間データベースに基づく推定値として扱う必要があります。
| 年度 | 登板 | 勝敗 | ホールド | 防御率 | 推定年俸 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2012年 | 32 | 2勝0敗 | 7 | 3.26 | 700万円 |
| 2013年 | 7 | 0勝0敗 | 0 | 6.00 | 1,500万円 |
| 2014年 | 20 | 0勝1敗 | 3 | 2.89 | 1,300万円 |
| 2015年 | 18 | 1勝0敗 | 4 | 1.00 | 1,500万円 |
| 2016年 | 64 | 4勝3敗 | 14 | 3.46 | 1,800万円 |
| 2017年 | 27 | 1勝1敗 | 1 | 2.89 | 4,500万円 |
| 2018年 | 29 | 2勝0敗 | 1 | 2.56 | 3,600万円 |
| 2019年 | 25 | 2勝2敗 | 5 | 4.32 | 3,600万円 |
| 2020年 | 一軍登板なし | ― | ― | ― | 3,200万円 |
※成績の出典:日本野球機構(NPB)の個人年度別成績。年俸は民間データベースなどに掲載された推定値。
2012年はルーキーながら32試合に登板
田原氏はプロ1年目の2012年に32試合へ登板し、2勝0敗、防御率3.26を記録しました。スポーツニッポンの2021年3月9日付の報道でも、ルーキーイヤーに貴重な中継ぎとして活躍し、チームの日本一を経験したことが紹介されています。
ドラフト下位指名の選手が、入団直後から一軍の試合を任されたことは、プロとしての適応力を示す実績です。救援投手は、登板する場面や対戦相手によって求められる仕事が変わります。新人時代からその役割を担ったことが、後の「便利屋」としての起用につながっていきました。
自己最多64試合に登板した2016年
田原氏のキャリアを代表するシーズンが2016年です。64試合登板は自己最多で、14ホールドを記録。先発投手から抑え投手へつなぐ救援陣の一角として、数多くの試合で起用されました。
また、2015年には18試合で防御率1.00、2018年にも29試合で防御率2.56を記録しています。登板数だけでなく、複数のシーズンで安定した投球を見せた点も評価すべきポイントです。
通算成績は222試合、防御率3.13
NPB公式記録による通算成績は、222試合、12勝7敗、35ホールド、防御率3.13、138奪三振です。プロ入り後の公式戦登板は2012年から2019年までに記録されています。
なお、2020年は一軍での登板機会がなく、現役最後のシーズンとなりました。2016年に64試合へ登板した投手であっても、数年後には一軍で投げる機会を失う。この変化は、プロ野球の選手評価が過去の実績だけでは決まらない厳しさを物語っています。
【戦力外通告から現役引退へ】2021年までの経緯と理由
田原誠次氏が巨人から戦力外通告を受けたのは、2020年のシーズンオフです。2020年11月2日に通告を受けた経緯は、2026年に発売された本人の著書からの抜粋を掲載した文春オンラインの記事でも振り返られています。
2020年は一軍で登板する機会に恵まれず、プロ9年目にして厳しい転機を迎えました。田原氏は現役続行を目指し、12球団合同トライアウトに参加。NPBの別球団や社会人野球など、次の所属先を探す道を模索しました。
しかし、トライアウト後もNPB球団から獲得のオファーは届きませんでした。2021年3月9日、スポーツニッポンは田原氏が現役引退の意向を固めたと報道。田原氏は通算222試合に登板したことを振り返り、球団関係者やファン、家族への感謝を語っています。
引退理由は戦力外通告だけではなかった
田原氏の引退に至る経緯を理解するうえでは、球団から戦力外通告を受けたことと、その後の本人の心境を分けて考える必要があります。
2026年の著書からの抜粋では、本人は現役最終年に、調子が良くても結果を残しても起用されないと感じていたことを振り返っています。若手選手が一軍に上がる一方、自身はプロの世界で生き残れるかどうかという不安を強く感じていたといいます。
合同トライアウト後にオファーがなかったことが、引退を決断する直接的な契機となりました。一方で、引退後の本人の手記からは、野球から少し距離を置きたいという気持ちもあったことが分かります。すぐに指導者へ転身するのではなく、まずは野球以外の仕事や生活に目を向ける選択をしました。
したがって、田原氏の引退は単純に「実力がなくなったから」と片付けられるものではありません。一軍での出場機会の減少、戦力外通告、トライアウトでの不成立、そして本人の心境が重なった結果だったと整理できます。

【引退後の仕事】ワクチン接種のアルバイトとハローワークでの就職活動
田原誠次氏の引退後の歩みが注目される理由の一つは、プロ野球選手から一般企業の仕事へと転身した経歴にあります。デイリースポーツは2022年5月17日、田原氏が自身の近況として、引退後に経験したアルバイトや就職活動について発信したことを報じました。
半年ほど家族との時間を過ごした後、アルバイトを開始
現役を引退した後、田原氏は半年近く仕事に就かず、家族と過ごす時間に充てたと、文春オンラインに掲載された本人の手記で説明しています。現役時代には十分に取れなかった家族との時間を取り戻しながら、次の仕事について考える期間でした。
その後、社会復帰への第一歩として取り組んだのが、ワクチン接種会場での誘導アルバイトです。担当したのは、来場者を問診や接種の場所へ案内する仕事でした。デイリースポーツの報道では、アルバイトを約1か月経験したことが紹介されています。
このエピソードは、元プロ野球選手が引退後すぐに華やかな指導者職や解説者の仕事に就けるとは限らない現実を示しています。現役時代の知名度や実績とは別に、生活を支えるための仕事を探し、新しい環境に適応する必要があったのです。
ハローワークに通い、給湯器工場へ就職
田原氏はアルバイトをしながらハローワークにも通い、求人を検索し、職員に相談しながら就職先を探しました。本人の手記によれば、朝から昼まで求人を調べ、納得できる職場を探していたといいます。
その結果、給湯器メーカーのパロマの直方工場に面接へ行き、製造の仕事に就きました。2022年のデイリースポーツの記事では、工場での勤務について、周囲から頼られることにやりがいを感じていたと紹介されています。
田原氏は、巨人時代にもさまざまな場面で起用される「便利屋」としての役割を担っていました。工場でも周囲の人に必要とされることに喜びを感じたという点は、野球選手時代の経験と、引退後の仕事がつながった部分です。
ただし、工場勤務を現在も続けているわけではありません。2022年の報道では、同年1月に別のオファーがあり、転職することになったと伝えられています。その後、野球指導者としての活動を再び本格化させていきました。
【2026年最新情報】現在は野球部コーチ、引退後の経験を著書に
2026年10月現在、田原誠次氏は沖データコンピュータ教育学院硬式野球部のコーチを務めています。所属先の公式スタッフ紹介にも、田原氏の名前とコーチとしての役職が掲載されています。
同チームは、専門学校コンピュータ教育学院に所属する硬式野球部です。プロ野球での経験を生かし、若い選手の育成に関わる立場へと進みました。2026年のインタビュー記事では、投手指導に加えて、有望な選手を探すスカウト業務も担当していると紹介されています。
2026年2月に初の著書を発売
2026年2月16日には、田原氏の著書『巨人をクビになりハローワークに通った男が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”』がカンゼンから発売されました。価格は税別1,800円です。
同書では、巨人で中継ぎ投手として過ごした日々、戦力外通告を受けたときの心境、就職活動や工場勤務を通じて得た経験などが扱われています。文春オンラインは2026年4月、著書の一部を抜粋する形で、田原氏の就職活動やワクチン接種会場でのアルバイトについて紹介しました。
引退直後の田原氏は、野球から離れる時間を必要としていました。しかし、野球以外の職場で働き、周囲に頼られる経験を重ねるなかで、仕事への向き合い方を見つめ直していきました。現在の指導者としての活動は、単に現役時代へ戻ったというより、異なる仕事を経験したうえで野球と再び向き合う選択といえます。
2023年には文春野球コラムでも活動
リアルサウンド ブックの2026年2月の記事によると、田原氏は2023年に文春野球コラムのコラムニストとして活動し、年間最優秀コラムを受賞しました。選手としての経験だけでなく、自分の言葉で野球や仕事について伝える活動にも取り組んできたことが分かります。
2026年の現在は、コーチとして選手を育てる仕事と、著書を通じて自身の経験を伝える活動が、田原氏のキャリアを形づくっています。現役時代の知名度だけに頼るのではなく、工場勤務や就職活動で得た経験を含めて、新しい役割を築いている点が特徴です。

【妻・子供・家族構成】引退後の生活を支えた家族と年俸の実情
田原誠次氏は2017年3月に結婚しています。日刊スポーツの当時の報道では、妻の優子さんと結婚し、すでに子どもと一緒に暮らしていたことが伝えられました。
その後、子どもが増え、本人の2026年の著書からの抜粋では、妻と息子、娘に加え、後に次男が生まれたことも説明されています。家族構成は、妻と子ども3人です。
2020年の戦力外通告後、田原氏がトライアウトに挑戦した背景には、家族の存在もありました。当時のデイリースポーツの報道では、家族が現役続行を望み、トライアウトで投げる姿を見守ったことが紹介されています。
一方、引退後の本人の手記では、家族との時間を確保できたことや、家族を養うために仕事を探したことが語られています。現役時代の野球中心の生活から、家族との日常や新しい仕事を重視する生活へと移行したことが、セカンドキャリアを考えるうえで重要な背景になっています。
田原誠次の年俸はどのくらいだったのか
田原氏の年俸については、球団が公式に公表した確定額ではなく、民間の野球選手データサイトなどに掲載された推定値が広く参照されています。そうしたデータでは、プロ入り当初の2012年が推定700万円、2016年が推定1,800万円、2017年が推定4,500万円で、2017年がキャリアの最高額とされています。
その後は2018年と2019年が推定3,600万円、2020年が推定3,200万円とされています。これらはあくまで推定年俸であり、手取り額や引退後の収入を示す数字ではありません。
現役時代に一定の収入を得ていた選手であっても、引退後は同じ収入水準を維持できるとは限りません。田原氏がハローワークで求人を探し、工場勤務を経験したことは、プロ野球選手のキャリアが現役時代だけで完結しないことを具体的に示しています。
【プロの結論】田原誠次の歩みから分かるプロ野球選手のセカンドキャリア
田原誠次氏の経歴を評価するとき、現役時代の成績と引退後の仕事を切り離して考えることはできません。NPB通算222試合という記録は、長年にわたり一軍の救援陣を支えた実績です。とりわけ2016年の64試合登板は、チームにとって欠かせない役割を担っていたことを示しています。
一方、戦力外通告を受けた後は、過去の実績だけでは次の所属先が決まらず、トライアウトでもNPB球団からオファーを得られませんでした。現役時代の実績が、引退後の雇用や収入を自動的に保証するわけではないという現実が浮かび上がります。
田原氏の経験から学べるのは、セカンドキャリアを野球界の仕事だけに限定しないという考え方です。本人は引退後すぐに指導者になるのではなく、まず野球から距離を置き、一般の仕事を経験しました。工場で働くなかで得た手応えや、周囲から頼られることへの喜びも、その後の人生を考える材料になったといえます。
現在は再び野球指導者として活動していますが、そこに至るまでには、アルバイト、就職活動、工場勤務、執筆活動という複数の段階がありました。元プロ選手のセカンドキャリアは、現役時代の肩書を別の肩書に置き換えるだけではありません。過去の経験を生かしながら、新しい職場で必要とされる力を身につけていく過程でもあります。
また、田原氏が自身の経験を著書としてまとめたことには、現役引退後の生活を考える読者にとっても意味があります。プロ野球選手という特殊な職業の話でありながら、仕事を失った後に何を選ぶか、収入と家族の生活をどう支えるか、自分の経験を次の仕事にどう生かすかという点では、多くの働く人に共通する課題が含まれています。
田原誠次氏のキャリアは、巨人での成績だけで評価しきれるものではありません。選手として積み上げた実績と、引退後に経験した仕事の両方が、現在の指導者としての活動につながっています。
【田原誠次】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:田原誠次は現在何をしていますか?
A1:2026年現在、沖データコンピュータ教育学院硬式野球部のコーチを務めています。2026年2月には、現役引退後の就職活動や工場勤務の経験をまとめた著書も発売されました。
Q2:田原誠次の巨人での通算成績は?
A2:NPB公式記録による通算成績は222試合、12勝7敗、35ホールド、防御率3.13、138奪三振です。2016年には自己最多の64試合に登板しました。
Q3:田原誠次が現役を引退した理由は何ですか?
A3:2020年オフに巨人から戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加しましたが、NPB球団からオファーがありませんでした。本人の振り返りでは、現役最終年の起用状況や野球から距離を置きたいという気持ちも、引退後の選択に関わっていました。
Q4:田原誠次はワクチン接種のアルバイトをしていたのですか?
A4:はい。2022年5月のデイリースポーツの報道では、引退後に約1か月、ワクチン接種会場で来場者を案内するアルバイトを経験したと紹介されています。その後、ハローワークで仕事を探し、給湯器工場で働きました。
Q5:田原誠次の妻や子供について分かっていることは?
A5:2017年3月に結婚し、妻と子ども3人がいます。本人の2026年の著書からの抜粋でも、妻と子どもたちについて触れられています。子どもたちの詳しいプロフィールなどは、公開された本人の発信や報道で扱われた範囲に限られます。
Q6:田原誠次の年俸は最高いくらでしたか?
A6:民間の野球選手データサイトなどでは、2017年の推定年俸4,500万円が最高額とされています。ただし、これは推定値であり、球団が公式に公表した確定額ではありません。
まとめ:田原誠次の現在と今後の活動に注目
田原誠次氏は、宮崎県延岡市出身の元プロ野球選手で、巨人では中継ぎ投手として通算222試合に登板しました。2016年には64試合に登板するなど、チームを支える救援投手として活躍しましたが、2020年オフに戦力外通告を受け、2021年に現役引退を表明しました。
引退後はワクチン接種会場のアルバイトやハローワークでの就職活動を経て、給湯器工場で勤務。その後、野球指導者としての活動に戻り、2026年現在は沖データコンピュータ教育学院硬式野球部のコーチを務めています。同年2月には、戦力外通告後の経験をまとめた著書も発売されました。
田原氏の歩みは、プロ野球での成功だけでなく、引退後に新しい仕事を探し、自分の居場所を築く過程まで含めて評価する必要があります。今後も指導者としてどのような選手を育て、野球界にどのような形で貢献していくのか。その活動が、2026年以降の注目点となりそうです。 (出典: 田原 誠 次(Yahoo!ニュース))