逆鉾昭廣の本名・最高位・得意技から家族と井筒名跡の現在まで徹底解説【2026年】
大相撲の元関脇・逆鉾昭廣(さかほこ あきひろ)は、鋭い差し手と力強い寄りで横綱級の力士を苦しめた「もろ差し名人」です。本名は福薗好昭(ふくぞの よしあき)。最高位は東関脇で、金星7個、三賞9回という実績を残しました。現役引退後は15代井筒親方として部屋を継承し、のちに横綱となる鶴竜を育てた指導者としても知られています。
2019年9月16日に58歳で亡くなった逆鉾は、元関脇・寺尾や元十両・鶴嶺山とともに「井筒三兄弟」と呼ばれ、相撲界の名門一家を象徴する存在でした。さらに、長女の天咲千華と志摩ノ海の結婚、年寄名跡「井筒」の継承、2026年10月の新たな襲名など、没後もその名跡をめぐる動きが続いています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 本名・最高位:本名は福薗好昭、最高位は東関脇。金星7個、三賞9回を記録した技巧派力士。
- 家族・指導歴:兄は鶴嶺山、弟は寺尾。師匠として鶴竜を横綱に育て、井筒部屋の伝統を支えた。
- 井筒名跡の現在:長女・天咲千華の夫である志摩ノ海の名跡取得が取り沙汰されたが、2026年10月16日には元翔天狼の親方が「井筒」を襲名した。名跡の継承と旧井筒部屋の再興は別の問題である。
【逆鉾昭廣のプロフィール】本名・最高位・生い立ちを整理
逆鉾昭廣は1961年6月18日生まれ。出生地は東京都墨田区で、出身地は鹿児島県姶良郡加治木町(現在の姶良市)です。父は元関脇・鶴ヶ嶺で、幼い頃から相撲に縁の深い環境で育ちました。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、現役時代の四股名は「逆鉾伸重」として登録されています。これは、現役後半に四股名の表記が変わったためです。「逆鉾昭廣」という名前で検索する場合も、公式記録では「逆鉾伸重」の表記が使われている点を押さえておくと、成績を調べやすくなります。
1978年1月場所に初土俵を踏み、1981年7月場所で新十両、1982年11月場所で新入幕を果たしました。最高位は東関脇。横綱や大関には届きませんでしたが、上位陣に強い相撲で存在感を示し、長く幕内で活躍しました。
逆鉾を語るうえで欠かせないのが、父から受け継いだ技術と、勝負どころで相手の懐へ入り込む巧みさです。単純な体格や力だけに頼るのではなく、相手の腕の位置、重心、足の運びを見極めて攻める。その技術が、後に「もろ差し名人」と呼ばれる理由になりました。
【現役時代の成績】金星7個・三賞9回を支えた得意技「もろ差し」
逆鉾昭廣の現役時代を特徴づける数字は、金星7個と三賞9回です。日刊スポーツの略歴記事によると、三賞の内訳は殊勲賞5回、技能賞4回。横綱から白星を挙げる金星も7個獲得しています。
金星の相手として知られるのは、隆の里、千代の富士、双羽黒です。日刊スポーツの報道では、隆の里から3個、千代の富士から2個、双羽黒から2個を獲得したとされています。強豪横綱を相手に結果を残したことが、逆鉾の評価を高めました。
得意技の中心は「もろ差し」です。相手の両腕の内側に自分の両腕を差し入れ、相手の上体を起こしながら前進する攻め方で、相撲では有利な体勢の一つとされます。ただし、両腕を差せば自動的に勝てるわけではありません。相手に上から押さえ込まれたり、腰を引かれたりすれば、攻めを止められる危険もあります。
逆鉾は素早く相手の懐に入り、両腕を差してから寄る動きに優れていました。左四つ、寄り、外掛けも得意とし、相手が差し手を警戒すれば別の攻めにつなげられる点も強みでした。フジテレビONEの相撲番組「大相撲いぶし銀列伝」でも、父譲りのもろ差しと技能派の取り口が紹介されています。
幕内優勝こそありませんでしたが、金星7個と三賞9回は、優勝回数だけでは測れない実力を示しています。とりわけ技能賞4回という記録は、勝ち負けだけでなく、相撲の技術そのものが高く評価されていたことを物語ります。
【逆鉾昭廣の経歴年表】初土俵から井筒部屋継承、死去まで
逆鉾の歩みは、力士としての成長と、引退後に指導者として部屋を受け継いだ時期に大きく分けられます。日本相撲協会の公式プロフィール、協会の訃報発表、日刊スポーツなどの報道をもとに、主な節目を整理しました。
| 年月 | 出来事 | 主な意味・実績 |
|---|---|---|
| 1961年6月18日 | 誕生 | 本名は福薗好昭。東京都墨田区生まれ、鹿児島県加治木町出身。 |
| 1978年1月場所 | 初土俵 | 福薗の名で角界入り。 |
| 1981年7月場所 | 新十両 | 関取としての第一歩を踏み出す。 |
| 1982年11月場所 | 新入幕 | 幕内力士として上位陣への挑戦が始まる。 |
| 1984年 | 関脇に昇進 | 最高位は東関脇。金星や三賞を重ねた。 |
| 1992年9月場所 | 現役引退 | 年寄・春日山を襲名し、部屋付き親方となる。 |
| 1994年4月 | 井筒部屋を継承 | 先代の停年に伴い15代井筒を襲名。 |
| 2014年 | 日本相撲協会の副理事に就任 | 審判部などの運営面でも役割を担う。 |
| 2019年9月16日 | 死去 | 58歳。協会は元関脇逆鉾の井筒親方の訃報を発表。 |
| 2022年6月・7月 | 長女・清香と志摩ノ海が結婚、本名変更 | 志摩ノ海の本名が浜口航洋から福薗航洋に変わった。 |
| 2023年12月 | 鶴竜が音羽山を襲名 | 音羽山部屋を創設。旧井筒部屋の再興とは別の形で指導者の道へ。 |
| 2026年10月16日 | 年寄名跡「井筒」を襲名 | 日本相撲協会が元翔天狼の親方による襲名を発表。 |
現役引退は1992年9月場所でした。引退後は年寄・春日山を襲名し、井筒部屋付きの親方として後進の指導に携わります。そして1994年4月、父である先代井筒親方の停年に伴い、井筒の名跡を継いで部屋を引き継ぎました。
現役力士として土俵で技術を磨いた経験と、父のもとで受け継いだ相撲部屋の伝統。その両方を持っていたことが、引退後の指導者としての土台になりました。
【井筒三兄弟とは】鶴嶺山・逆鉾・寺尾の兄弟関係
逆鉾昭廣の家族を語る際に欠かせないのが、「井筒三兄弟」です。父は元関脇・鶴ヶ嶺。長兄は元十両の鶴嶺山、次兄に当たる逆鉾は元関脇、末弟の寺尾も元関脇という、三人そろって関取として活躍した相撲一家でした。
つまり、寺尾は逆鉾の弟です。兄弟でありながら、二人とも関脇まで昇進し、それぞれ異なる個性で土俵を沸かせました。兄の逆鉾が差し手の技術を生かした相撲で知られたのに対し、寺尾も独自の取り口と存在感で人気を集めました。
父の鶴ヶ嶺は、現役時代から「もろ差し」を得意とした技巧派力士でした。その技術を息子の逆鉾が受け継いだことは、相撲専門番組やスポーツ報道でも繰り返し取り上げられています。逆鉾の相撲は、単なる父親譲りの才能ではなく、稽古と実戦のなかで磨き上げられた技術として評価されてきました。
三兄弟のうち、逆鉾と寺尾はすでに亡くなっています。逆鉾は2019年9月16日、寺尾は2023年12月に死去。長兄の鶴嶺山も2020年3月に亡くなりました。朝日新聞は寺尾の死去を伝えた際、三人が「井筒三兄弟」として知られていたことを報じています。
兄弟それぞれの現役生活だけでなく、父から子へとつながる技術、部屋の運営、弟子の育成まで含めて見ると、福薗家が相撲界に残した影響の大きさが分かります。
【井筒親方としての功績】鶴竜を横綱に育てた指導力
逆鉾の評価は、現役時代の成績だけで完結しません。引退後に井筒部屋を継承し、直弟子の鶴竜を横綱へと育てたことが、指導者としての最大の功績です。
鶴竜は、アマチュア相撲の輝かしい実績を持って角界入りした力士ではありませんでした。相撲雑誌の編集部に入門希望の手紙を書き、それをきっかけに井筒部屋を紹介されたという経緯があります。来日当初は体重が約65キロと細く、入門後に基礎から力をつけていきました。
日本相撲協会の公式企画でも、鶴竜は特別なスピード出世ではなく、着実に番付を上げた力士として紹介されています。2001年11月場所に初土俵を踏み、2005年11月場所に新十両、2006年11月場所に新入幕。2012年には大関へ昇進し、2014年3月場所後に第71代横綱となりました。
井筒部屋からの横綱誕生は、1923年以来、約91年ぶりのことでした。体格や実績だけで入門者を判断するのではなく、素質を見抜き、長期的に育てた逆鉾の指導力を象徴する出来事です。
日刊スポーツが2018年に伝えた取材では、逆鉾は鶴竜の技術と穏やかな性格を評価し、指導者としても適性があるとの考えを示していました。弟子の現役時代だけでなく、引退後の人生まで見据えていたことがうかがえます。
また、逆鉾は日本相撲協会の運営にも関わりました。2002年に勝負審判に就任し、長年にわたって審判業務を担当。2014年には副理事となり、審判部副部長などを務めました。土俵上の技術者であると同時に、相撲界を支える運営側の人材でもあったのです。
2019年9月16日、逆鉾は58歳で亡くなりました。日本相撲協会は公式に訃報を発表し、横綱鶴竜を育てたことや、協会の役職を歴任した功績を伝えました。鶴竜ら井筒部屋の力士はその後、陸奥部屋へ転籍しています。
【家族と井筒名跡の真相】天咲千華・志摩ノ海・部屋継承の現在
逆鉾の家族で特に知られているのが、長女の天咲千華(あまさき ちはな)です。本名は福薗清香。宝塚歌劇団花組で娘役として活動した経歴を持ちます。
逆鉾が井筒部屋を継承した1994年には、すでに結婚しており、当時7歳だった長女の存在も明らかになりました。力士や親方の家族について公に語られる機会が限られていた時代に、娘の存在が知られたことは周囲を驚かせたと伝えられています。
清香は2022年6月19日、木瀬部屋所属の志摩ノ海と結婚しました。日本相撲協会は同年7月、志摩ノ海の本名が浜口航洋から福薗航洋に変更されたことを発表しています。これは福薗家との婚姻に伴う本名の変更であり、年寄名跡「井筒」を取得したという意味ではありません。
この点は、ネット検索で混同されやすい部分です。志摩ノ海が逆鉾の娘と結婚し、本名を福薗に変更したことと、相撲協会の年寄名跡を襲名することは別の手続きです。結婚や本名変更だけで、井筒の名跡や部屋の師匠の地位が自動的に移るわけではありません。
逆鉾の死去後、鶴竜は井筒部屋を継ぐ意向を持っていました。しかし、部屋の存続に必要な師匠や名跡の問題がまとまらず、2019年に所属力士は陸奥部屋へ転籍。弟の寺尾が受け入れを申し出たものの、所属する一門の違いなどもあって実現しませんでした。
その後、鶴竜は2021年春場所限りで現役を引退し、2023年12月に年寄「音羽山」を襲名。音羽山部屋を創設しました。鶴竜が独立して部屋を構えたことは、逆鉾の指導を受けた力士が新たな指導者として歩み始めた節目ですが、旧井筒部屋がそのまま再興されたわけではありません。
さらに、年寄名跡「井筒」の動きには新たな展開がありました。2024年時点では、志摩ノ海による名跡継承の可能性が取り沙汰される一方、同じ木瀬部屋の元幕内・明瀬山光彦が井筒を襲名していました。しかし、2026年8月に明瀬山が日本相撲協会を退職し、同年10月16日には元幕内・翔天狼の出来山親方が年寄「井筒」を襲名したと協会が発表しています。
したがって、2026年10月24日時点で、志摩ノ海が井筒の名跡を取得したという説明は正確ではありません。今回確認できる公式発表は、元翔天狼の親方による名跡の襲名です。名跡を名乗ることと、旧井筒部屋を再興することも別であり、旧部屋の再興が決まったわけではありません。
井筒部屋の伝統を今後どのような形で継承するのかは、名跡だけでなく、部屋の新設条件や所属一門、師匠となる親方の立場など、複数の要素に左右されます。逆鉾の家族をめぐる話題と、相撲協会の制度上の手続きは、分けて理解する必要があります。
【逆鉾昭廣の生涯と功績】プロの視点から見た本当の評価
逆鉾昭廣の相撲人生には、分かりやすい対比があります。現役時代は最高位が関脇で、幕内優勝には届きませんでした。一方で、横綱から金星を7個獲得し、三賞を9回受賞。引退後には弟子を横綱へ育て上げ、相撲協会の役職も務めました。
この経歴が示すのは、力士の評価を優勝回数や最高位だけで決めることの限界です。相手の長所を封じる技術、勝負どころでの判断、長期にわたる幕内での安定した活躍、そして後進を育てる能力。逆鉾は、こうした複数の面で相撲界に貢献した人物でした。
また、もろ差しという技術を自分の武器として磨いただけでなく、次の世代に伝えた点も見逃せません。鶴竜の横綱昇進は、単に一人の弟子が成功したという話ではなく、師匠が持つ技術の見極めと、力士の成長に合わせた指導が実を結んだ例といえます。
一方、井筒部屋の継承問題は、個人の意向だけでは部屋を存続できない大相撲の制度的な側面を浮かび上がらせました。年寄名跡、部屋の新設条件、一門の関係はそれぞれ別の要素です。故人の遺志や家族関係だけで、そのまま部屋の継承が決まるわけではありません。
逆鉾を理解するうえでは、現役時代の「もろ差し名人」という評価、鶴竜を育てた師匠としての功績、そして井筒名跡をめぐる制度上の経緯を、ひと続きの生涯として見ることが大切です。
【逆鉾昭廣】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:逆鉾昭廣の本名と最高位は何ですか?
A1:本名は福薗好昭(ふくぞの よしあき)です。最高位は東関脇で、得意技はもろ差し、左四つ、寄り、外掛けなど。金星7個、殊勲賞5回、技能賞4回を記録しました。
Q2:逆鉾昭廣はいつ亡くなりましたか?死因は公表されていますか?
A2:2019年9月16日に58歳で亡くなりました。日本相撲協会の公式訃報では死去日と本名などが発表され、当時の報道では膵臓がんと伝えられています。
Q3:逆鉾の娘と結婚した志摩ノ海は、井筒の名跡を取得したのですか?
A3:2022年に逆鉾の長女・天咲千華(福薗清香)と結婚し、本名を福薗航洋に変更しましたが、本名変更は井筒の名跡取得とは別です。2026年10月16日には元翔天狼の出来山親方が井筒を襲名しており、志摩ノ海が同名跡を取得したという説明は正確ではありません。
まとめ:逆鉾昭廣が残した技術と井筒部屋の伝統
逆鉾昭廣は、東関脇まで昇進し、金星7個、三賞9回を記録した技巧派力士でした。父・鶴ヶ嶺譲りのもろ差しを武器に横綱陣を苦しめ、引退後は井筒部屋の師匠として鶴竜を横綱に育てました。現役力士としての実績と、指導者としての成果を両立させた点に、その生涯の大きな価値があります。
兄の鶴嶺山、弟の寺尾とともに築いた井筒三兄弟の存在、長女・天咲千華と志摩ノ海の結婚、そして年寄名跡「井筒」をめぐる動きも、逆鉾の生涯を理解するうえで重要な要素です。ただし、家族の婚姻、本名の変更、年寄名跡の襲名、相撲部屋の再興は、それぞれ異なる事柄です。
2026年10月現在、井筒の名跡は元翔天狼の親方が襲名しています。旧井筒部屋の再興については別途判断が必要であり、名跡の動きだけで部屋の復活が決まったわけではありません。逆鉾が残した技術と指導者としての功績を振り返りながら、相撲界の伝統が制度のなかでどのように受け継がれていくのかを見守ることが、彼の生涯を理解する手がかりになります。 (出典: 逆鉾 昭 廣(Yahoo!ニュース))