式守勘太夫の現在は?本名・年齢・行司名の変遷と2026年最新情報を徹底解説
大相撲の土俵で勝負を裁く行司、式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)。2026年現在は、日本相撲協会の公式プロフィールで三役行司として紹介され、朝日山部屋に所属しています。本名は菊池浩(きくち・ひろし)、1968年11月15日生まれで、2026年10月24日時点の年齢は57歳です。出身地は宮城県伊具郡丸森町と公表されています。
式守勘太夫を知るうえで欠かせないのが、1984年の採用から現在に至るまでの長い行司人生です。2016年1月場所に10代式守与之吉を襲名し、2019年5月場所には12代式守勘太夫を襲名。さらに2025年1月場所から三役格に昇進し、2026年5月には自らデザインしたカワセミ柄の新装束を披露しました。プロフィール、改名の理由、昇進の経緯、そして最新の活動を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- プロフィール:本名は菊池浩。1968年11月15日生まれの57歳で、宮城県伊具郡丸森町出身、朝日山部屋所属です。
- 行司名の変遷:式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉を経て、2019年5月場所から12代式守勘太夫を名乗っています。
- 2026年の最新情報:三役格行司として土俵に立ち、2026年夏場所では自身が図案を考えたカワセミ柄の新装束を初披露しました。
【公式プロフィール】式守勘太夫の本名・年齢・出身地・所属部屋を整理
式守勘太夫は、力士のように四股名で知られる存在ですが、行司としての正式なプロフィールには本名や生年月日、所属部屋、これまでに名乗った行司名が記載されています。日本相撲協会の公式プロフィールを基準にすると、基本情報は次のとおりです。
- 現在の行司名:式守勘太夫(しきもり・かんだゆう)
- 代数:12代
- 本名:菊池浩(きくち・ひろし)
- 生年月日:1968年11月15日
- 年齢:57歳(2026年10月24日時点)
- 出身地:宮城県伊具郡丸森町
- 所属部屋:朝日山部屋
- 日本相撲協会への採用:1984年4月
- 現在の地位:三役行司(三役格行司)
年齢については、2026年11月15日に58歳の誕生日を迎えるため、10月時点では57歳です。「式守勘太夫は57歳」という情報は、誕生日を基準に確認すると正確に理解できます。
出身地については、資料の表現にも注意が必要です。日本相撲協会の公式プロフィールは宮城県伊具郡丸森町を出身地としている一方、日刊スポーツの2025年3月の記事では東京生まれと記載されています。「出身地」と「生まれた場所」は必ずしも同じ意味ではないため、両者を混同しないことが大切です。
また、所属部屋は朝日山部屋です。行司は力士と同様に相撲部屋に所属して職務を続けますが、土俵上では勝負の判定、取組の進行、軍配の扱いなど、力士とは異なる役割を担っています。

【行司名の変遷】式守与之吉から12代式守勘太夫へ至る経歴
式守勘太夫の経歴を理解するうえで、特に重要なのが行司名の変遷です。現在の名前だけを見ると、最初から勘太夫を名乗っていたように思えるかもしれません。しかし、実際には複数の名前を経て、現在の名跡にたどり着いています。
2019年5月23日公開の相撲情報メディア「おすもうさん」のインタビューでは、本人が入門時からの改名歴を振り返っています。その内容と日本相撲協会の採用年月、日刊スポーツの昇進報道を照らし合わせると、主な節目は次のとおりです。
| 時期 | 行司名・出来事 | 経歴上の意味 |
|---|---|---|
| 1984年4月 | 日本相撲協会に採用 | 中学校卒業後、行司としてのキャリアを開始 |
| 1984年5月場所 | 式守国浩 | 初土俵。入門時の師匠だった元大関・清國の名から「国」の字を取り、本名の「浩」と組み合わせた名前 |
| 2001年1月場所 | 8代式守錦之助 | 十枚目格に昇進した際に襲名 |
| 2009年1月場所 | 12代式守与太夫 | 幕内格に昇進した際に襲名 |
| 2016年1月場所 | 10代式守与之吉 | 将来の勘太夫襲名を見据えた改名 |
| 2019年5月場所 | 12代式守勘太夫 | 現在の名跡を襲名 |
| 2024年12月23日付 | 三役格への昇進が発表 | 翌2025年1月場所から新たな地位に就く |
| 2026年5月場所 | カワセミ柄の新装束を披露 | 自身がデザインを考案した装束を初披露 |
ここで押さえておきたいのが、2016年1月場所の「10代式守与之吉」への改名です。単なる名前の変更ではなく、将来、式守勘太夫を襲名することを見据えた選択でした。
その3年後、2019年5月場所で12代式守勘太夫を襲名。1984年の採用から約35年を経て、目標としていた名跡を受け継ぐことになりました。
なお、年表の採用年月と初土俵の時期は区別して理解する必要があります。日本相撲協会への採用は1984年4月、初土俵は同年5月場所です。プロフィールの「採用年月」と、実際に本場所で行司として土俵に立ち始めた時期は、同一ではありません。
【襲名の理由】なぜ式守与之吉を経て勘太夫になったのか
式守勘太夫の襲名には、行司の世界で代々受け継がれてきた名跡の伝統が関係しています。
2019年の「おすもうさん」のインタビューによると、式守勘太夫という名跡は文政6年(1823年)から続くものです。現在の勘太夫は、その12代目に当たります。つまり、12代という数字は、本人が行司として12段階の昇進をしたという意味ではなく、同じ名跡を受け継いだ歴代の行司のうち12代目という意味です。
本人は同インタビューで、先輩行司が勘太夫を名乗っていたこともあり、自分もいつか襲名したいと考えていた趣旨を語っています。その希望を見据えて選んだ名前が、2016年1月場所からの10代式守与之吉でした。
式守勘太夫という名跡では、過去の襲名者にも式守与之吉を名乗った経験のある行司が多くいます。「与之吉から勘太夫へ」という流れは、歴代の行司名のつながりを知るうえで重要なポイントです。
また、名跡の継承は名前だけにとどまりません。2019年のインタビューでは、勘太夫に代々伝わる「譲り団扇(ゆずりうちわ)」についても紹介されています。これは歴代の行司などから受け継がれてきた軍配で、2代目式守勘太夫が使用したものと伝えられています。当時の取材では、約153年前の品とされ、普段は相撲博物館で保管されていると説明されました。
2019年5月場所の初日には、この由緒ある軍配を使用したことも紹介されています。古い名跡を受け継ぐことは、単に名前を変えるだけではなく、行司の歴史や道具、所作にまつわる伝統を引き継ぐことでもあるのです。

【現在の地位】三役格行司への昇進で何が変わったのか
式守勘太夫は、2024年12月23日付で三役格への昇進が発表され、2025年1月場所から三役格行司となりました。日本相撲協会の公式プロフィールでは「三役行司」と表記されていますが、報道では一般に「三役格行司」と呼ばれています。
行司の階級は、基本的に序ノ口格、序二段格、三段目格、幕下格、十枚目格、幕内格、三役格、立行司という順に上がっていきます。立行司には式守伊之助と木村庄之助がおり、三役格はその一段下に位置する上位の階級です。
三役格への昇進は、肩書だけの変更ではありません。2025年3月の日刊スポーツの取材記事では、昇進に伴う装束の変化も紹介されました。幕内格から三役格になると、軍配の房や菊綴の色が紅白から朱に変わり、草履を履くようになります。また、右腰に印籠を携えることもできるようになります。
こうした違いは、相撲中継で行司を見る際の分かりやすいポイントです。力士の番付だけでなく、行司の装束や軍配の房の色にも注目すると、土俵上の役割や階級の違いを理解しやすくなります。
ただし、昇進の意味を単純に出世競争だけで捉えるのは十分ではありません。日刊スポーツの2025年3月のインタビューでは、勘太夫が同期の行司である木村元基との関係について語っています。自分が先に昇進しても、同期が同じ地位に上がってこそ実感が湧くという趣旨の発言をしており、行司の世界にある長年の人間関係もうかがえます。
行司の昇進は、技量や勤務態度なども評価に関わる一方、長い在籍年数を重視する慣行があります。三役格への昇進は、1984年に採用された勘太夫が長年にわたり職務を続けてきた節目でもあります。
【苦難と復帰】ギラン・バレー症候群を乗り越えて土俵へ
式守勘太夫の経歴を語るうえで、2017年に発症したギラン・バレー症候群も大きな転機です。日刊スポーツの2018年および2021年の記事によると、当時、式守与之吉を名乗っていた勘太夫は、2017年12月の冬巡業中に体の異変を感じ、手足に力が入らなくなる症状に見舞われました。
その後、入院とリハビリを経験し、2018年初場所から5場所連続で休場。同年九州場所で本場所に復帰しました。行司として土俵に戻るまでには、身体機能の回復に向けた厳しい過程がありました。
日刊スポーツの2025年3月の取材記事では、発症から約7年が経過した時点でも、手の震えが残り、定期的な通院や薬の服用を続けていると本人が語っています。復帰後の取組については、際どい勝負で軍配を上げ、物言いがついたものの、結果的に行司軍配通りとなった例も紹介されました。
ここから読み取れるのは、行司の仕事が単に土俵上に立って勝者を示すだけのものではないということです。軍配を上げる瞬間には、勝負の行方を正確に見極める判断力と、緊張する場面でも職務を遂行する集中力が求められます。さらに、装束を着て所作を行い、取組を進行させるための身体的な負担もあります。
もちろん、2025年の取材で報じられた体調を、そのまま2026年現在の状態と断定することはできません。現在の地位や活動については、最新の公式プロフィールと、その後に報じられた本場所での活動を分けて確認することが重要です。

【2026年最新情報】カワセミ柄の新装束と57歳の誕生日
2026年の式守勘太夫に関する注目ニュースの一つが、新しい装束の披露です。日刊スポーツは2026年5月14日、勘太夫が自らデザインを考えたカワセミ柄の装束を夏場所で初披露したと報じました。
装束は白地を基調とし、カワセミの刺繍をあしらったものです。下部には水面をイメージした青のグラデーションが施され、表裏を合わせると6羽のカワセミが描かれています。それぞれ異なる動きを表現しており、東西の位置によって見え方が変わる工夫も盛り込まれました。
この装束は、2025年初場所からの三役格昇進を機に、薬局を運営するTasyoデザイン株式会社から贈られたものです。勘太夫は図案を考えるだけでなく、図書館で専門書を調べ、自ら絵を描きながらデザインを仕上げたと報じられています。完成までには約1年半を要しました。
日刊スポーツの記事で、勘太夫は完成した装束について「思った以上に素晴らしい。刺繍の凹凸感がすごいんです。職人の腕だなと思いました」と感想を述べています。
新装束の題材となったカワセミは、東京・町田市での巡業中に川面へ向かって餌を取る姿を見たことが発想のきっかけだったといいます。相撲の伝統を守りながら、自分が目にした風景を装束という形で表現する姿勢は、勘太夫の個性を知るうえで興味深いエピソードです。
もう一つの話題が、57歳の誕生日を迎えた2025年11月15日の取組です。日刊スポーツによると、勘太夫は大相撲九州場所7日目に誕生日を迎え、幕内後半の一山本対正代、平戸海対義ノ富士の2番を担当しました。記事では、誕生日の緊張を口にしながらも的確に取組を進行し、差し違えはなかったと報じられています。
ここでいう「差し違えなし」は、その日の担当取組に関する報道です。勘太夫の全キャリアを通じて一度も差し違えがなかったという意味ではありません。誕生日という特別な日にも、行司としての判断が注目された出来事として理解するのが適切です。
2026年10月24日時点では57歳で、11月15日に58歳となる勘太夫。最新の公式プロフィールでは三役行司として掲載されており、2026年5月には新装束を披露しています。現在を知りたい読者にとっては、この地位と装束のニュースが近年の活動を把握する手掛かりになります。
【プロの結論】式守勘太夫を知るなら押さえたい3つのポイント
式守勘太夫について検索すると、本名や年齢だけでなく、「12代とは何か」「なぜ与之吉から改名したのか」「現在どの階級なのか」といった疑問が並びます。これらを理解するには、次の3点を分けて考えると整理しやすくなります。
1.現在の名前と本名は別の情報である。 式守勘太夫は行司として受け継がれる名跡で、本名は菊池浩です。「12代」は名跡を継承した代数を示し、本人の年齢や昇進回数を表す数字ではありません。
2.改名はキャリアの節目と伝統に結び付いている。 1984年に式守国浩として初土俵を踏み、錦之助、与太夫、与之吉を経て2019年に勘太夫を襲名しました。とりわけ2016年の与之吉への改名は、将来の勘太夫襲名を意識したものでした。
3.現在の活動は階級だけでなく、実際の仕事から見る。 2025年1月場所から三役格となり、2026年には自ら図案を考えた新装束を披露しています。昇進歴とともに、軍配の判断、取組の進行、装束への工夫を見ていくことで、行司という仕事の幅が分かります。
情報を調べる際には、日本相撲協会の公式プロフィールで本名・生年月日・出身地・所属部屋・現在の格付を確認し、襲名の経緯や取材時の発言は、日刊スポーツや「おすもうさん」などの記事で補う方法が有効です。プロフィールの更新時期と報道の日付を見比べることで、過去の情報を現在の状況と取り違えにくくなります。
【式守勘太夫】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:式守勘太夫の本名と年齢は?
A1:本名は菊池浩(きくち・ひろし)です。1968年11月15日生まれで、2026年10月24日時点では57歳。2026年11月15日に58歳の誕生日を迎えます。
Q2:式守勘太夫はなぜ式守与之吉から改名したのですか?
A2:将来、式守勘太夫を襲名することを見据えていたためです。2016年1月場所に10代式守与之吉を名乗り、2019年5月場所に12代式守勘太夫を襲名しました。
Q3:式守勘太夫は現在、何格の行司ですか?
A3:2025年1月場所から三役格行司を務めています。日本相撲協会の公式プロフィールでは「三役行司」と表記されています。2026年にはカワセミ柄の新装束を披露するなど、土俵上での活動を続けています。
まとめ:式守勘太夫の現在と今後の注目点
式守勘太夫は、本名・菊池浩、1968年11月15日生まれの行司です。宮城県伊具郡丸森町出身で、朝日山部屋に所属。1984年に日本相撲協会に採用され、式守国浩、式守錦之助、式守与太夫、式守与之吉を経て、2019年5月場所に12代式守勘太夫を襲名しました。
2025年1月場所からは三役格に昇進し、2026年5月には自身がデザインを考えたカワセミ柄の新装束を披露しています。長いキャリアのなかでは病気による休場と復帰も経験しました。こうした歩みをたどると、行司の仕事が勝負を裁く技術だけでなく、伝統の継承、装束や道具への理解、日々の職務を続ける姿勢によって支えられていることが分かります。
今後の動向を追う際は、年齢や改名歴だけで判断するのではなく、公式プロフィールの格付、各場所での活動、装束などに関する新たな報道を合わせて確認することが大切です。2026年現在の式守勘太夫を理解するうえでは、12代目として受け継いだ名跡と、三役格行司として積み重ねてきた経験の両方に注目するのが、最も確かな見方です。 (出典: 式 守 勘 太夫(Yahoo!ニュース))